私の在り方としての「とまれみよ」

インタビューのお仕事を頂いて文章を書いたり、興味の赴くままに聞き書きをしたりしながら、じわじわーっと動きはじめた頃、私自身の「在り方」を考えていました。

私が私として暮らしていく上で、根幹となる状態はどんなものだろうと思考を巡らせていたのです。


すぐに見つかるものでもないと思っていたので、焦りはありませんでしたが、
何をしている時でも、頭の片隅には「在り方」を考える私がいて、しっくりくるものを探していました。

こうありたいな、という絵(風景)は浮かんでも、言葉としてしっくりくるものがなかなか見つからず、ぼんやりする日々。


いつものように考え事をしながら散歩をしていたら、唐突にこの言葉に出会いました。

とまれみよ


「あ、これだ」と思わず声が出たのを覚えています。


歩くでも、休むでもなく、止まる

振り返ると、私は今まで「止まる」ことに助けられてきたように思います。

幼い頃は、断られることを想像すると悲しくなるので友人を遊びに誘うのが苦手で、
誰にも誘われなかった日は、よく一人で遊んでいました。

私にとって、一人で遊ぶ時間に大事なのは「止まる」ことです。

地面を眺めて、小さな生き物や植物を観察したり、
庭の木に登ってそこから見えるものをただただ眺めたり、
立ち止まって、今ここにある物やここから見えるものをじっくり見てみるとあっという間に時間が過ぎて行くのです。
止まってじーっと見てみると、鮮明になるごく身近にあるものたちを眺めることがとても好きでした。


昔より、時間やお金を使って、自分の身体を少し自由に動かせるようになり、
本を読んで他の人の考えていることに驚いたり、少し遠くの刺激的なものを観に行ったり
噂で聞いた何かを体感しに行ったりすることが増えた今でも、
「止まる」ことで感じられる物事から喜びを得る私がいます。


ぐんぐん進んでいく姿勢や、見た事もない景色の中から新たな発見をすることも素敵です。

でも、私は今いるところから見えるもの、聞こえるもの、触れられるもの、香るものを感じることを大切にしていきたいと思っています。

歩くでも、休むでもなく、「止まる」ことで見えて来るものを大切にしたいのです。



とまれみよ

そんなことを考えていた私に、しっくりきた言葉が「とまれみよ」でした。

止まって、見る。

ふと、足を止めて

そこから見えるもの

そこで聞こえるもの

そこから触れられるもの

そこで香るもの に集中してみると、

ピクっと心が動くことがあります。

心が動いたところで止まりじーっと見てみる。


そんな風に私は人や物や事と接していきたいなと思っています。
聞き書きをしたり、文章を書いたり、何かを企画する時の姿勢にも繋がる、
私が私として暮らしていく上で大切にしたい在り方は「とまれみよ」

暮らしの中で、手や目や耳の届く範囲のことを面白がっていきたいと思います。

小さく、軽やかに止まり、じーっと見つめていく暮らしを、こっそりと。

とまれみよ

聞き書き、ZINE制作、イベント企画などを自分の手や目の届く範囲で。