大切にしたいものを大切にする

つまずいて転んだら、しばらくそのままうつ伏せていたい。

私はそんな子どもでした。


転んだら、それはそれでおもしろいものが見えます。
私が思っている以上にたくさんのアリがいたり、
顔に当たると痛いほどの勢いで草が生えていたり、
石に生える苔が小さな島のように見えたり、
転んだからこそ見えるものがあります。

私の遊びの肝は、おもしろがること

私は幼い頃、友達を遊びに誘うのが苦手でよくひとりで遊んでいました。

「ひとりかくれんぼ」
「ソファごっこ」

私にしかわからないルールの遊びをたくさん作って遊んでいました。
地面にうつ伏せてそこから見える風景を眺めるのも、
私にとってお気に入りの遊びの1つでした。
こういう遊びの経験の中で、私はある習慣を身につけました。
それは「身の回りのものをおもしろがる」という習慣です。

身の回りにある何の変哲もないものを、いかにおもしろがって楽しくなるかが、
私がひとりで遊ぶときのポイントであり、私の遊びの肝でした。
なんてったって、そうしないと一人の時間はあっという間に退屈で窮屈なものになってしまいます。

おもしろがろうと思えば、今まで見えなかったものが見えてきます。
その風景の裏側にある人の営みや、人たちの「企み」を垣間見ることも出来ます。
おもしろがるということは興味を持つということでもあり、
今まで何にも感じていなかったような身近なものたちを、
ちょっと違う角度から見るキッカケになるかもしれません。
そういうことを考えれば考えるほど、私は何かをおもしろがっている時間がすごく好きだなぁと思えます。


そんな私が今おもしろがっているもの。

それは、祖父母です。


当たり前にそこにいる人を、おもしろがる

私は「うちのじいちゃんばあちゃん研究」と称して、祖父母の歴史を辿っています。

祖父母がどこでどんな風に生まれ育って、どういう人たちとふれ合って生きてきたのか、
曾祖父母やその上の代の人たちがどんな人たちだったのか。
それを祖父母や、その兄弟たちに話を聞き、記録しています。

また、祖父母たちのルーツを辿って家系図を作るために、
祖父母たちのそれぞれの実家のお墓を巡ったり、
疎遠になった親戚たちに会いに行ったりしています。

私がなぜ今「うちのじいちゃんばあちゃん研究」をしているのか。

私は大学で文化人類学という学問を専攻し、いろんな土地に行って、
その土地の中で生きる人々がどんな風に生きてきたのかや、
今どんな風に生活しているのかという話を聴いています。

その話は1つ1つが本当に興味深くて、いつもわくわくしています。

特に私たちの祖父母にあたるような世代の人たちにとって日常だった物事の話や、
「旦那さんとどうやって結婚したんですか?」という馴れ初めなどの何でもない話が、
私にはとっても楽しく、興味深いのです。

でも、様々な方にお話を伺う度に「楽しかったな、いろんな話が聞けたな」と思うと同時に、ある思いも抱えるようになりました。
それは、いわば赤の他人であるおじいちゃんおばあちゃんが
どこでどんな風に生まれ育ったか知っているのに、
自分のじいちゃんばあちゃんがどういうふうに生きてきたのか全く知らないな、
という思いです。

そこにいるのが当たり前すぎて、
私はじいちゃんばあちゃんのことをおもしろがったり、
興味を持つことを後回しにしていたように思います。
最も身近にある「大切にしたいもの」をおもしろがることを忘れていました。


知った気になっていたことを、知り直す。

大切なものは人それぞれ違うと思います。
友達、家族、時間、思い出、お金。きっといろいろとあるでしょう。

今、私が大切にしたいものは何だろうと考えると、
それは、家族です。

特に、順番通りに行くと、残りの時間が限られている祖父母と過ごす時間を大切にしたいなと思いました。


今までずっと「家族のことは大切にしたい」「大切にしている」と思っていました。
でも、実際はそう思っているだけだったような気がします。

大切にしたいものを大切にする方法はたくさんあります。
きっと、ひとりひとり違うはずです。
私は、これからもう一度、
私なりの方法で家族を大切にしていこうと思っています。


私が大切にしたいものを大切にする、方法の1つ。
それは、大切にしたいもののことをおもしろがることです。
うちのじいちゃんばあちゃんは、ただ話してるだけでもとってもおもしろいんですが、
もっと深く知ることができればいろんな角度からおもしろがれるんじゃないかと思い、
始めたのが「うちのじいちゃんばあちゃん研究」です。


最初はなかなか昔の話をしてくれなかったばあちゃんも、
写真を出したり、昔使っていた道具を見せたりしながら話をすると
どんどん話してくれるようになり、「会話」というもののあり方を考える上でも学びの多い時間です。


「曾々じいちゃんは薩摩の足軽だったんだよ」とか、

「馬に乗るのが好きで、よく馬に乗って田んぼに行ってたんだよ」とか、

今まで私が知った気になっていただけで全く知らなかった
じいちゃんばあちゃんの様々な姿を、発見する日々です。


私の「大切にしたいものを大切にする」方法

うちのじいちゃんばあちゃんは、偉人でも有名人でもありません。
めまぐるしい時の流れの中で、いつか人々の記憶から消えていってしまうかもしれない存在です。
でも、私の中ではかけがえのない存在であり、
私という歴史の中では大事な大事な偉人です。
いずれは私が死んだ後もじいちゃんばあちゃんが生きたという記録が残るように、
何らかの形で残していきたいなという風に思っています。


大切にしたいもののことを知って、大切にしたいものをおもしろがる、
そしてそれを何かに残すこと。

それが私の「大切にしたいものを大切にする」方法です。
きっと身の回りには、まだ私が気づいていないおもしろいものや大切にしたいものが溢れているんだろうと思います。

私はこれからも身の回りのものをおもしろがって、
大切にしたいものを大切にしながら生きていきたいと思います。
朗らかで果てしない旅を始めた気分です。

この旅の様な時間の途中で会う人たちと、
身の回りのどんなものをおもしろがっているものや 
どんな方法で大切にしたいものを大切にしているのかを
自分の言葉で話してみたいなと思います。


(2014.7.18記)


とまれみよ

聞き書き、ZINE制作、イベント企画などを自分の手や目の届く範囲で。